40歳にして、最速を出した話。

私は高齢出産をフロリダでした。で、私はフォートロダデール(知る人ぞ知るアメリカのベニスと呼ばれる観光地)に近い大きな総合病院で記録を作ったのだ。 何の記録かというと最速の分娩時間、30分と少し、を出したのだ。

これには訳がある。 アメリカでは、無痛分娩が主流なので、私も陣痛の間隔が短くなってきて、唸っている時に、耳元で、「麻酔しますか」と囁かれ、即時にイェスと言った。 (だいたいあの状況で、断れる人って、よほど痛みに無感覚か、根性のあり過ぎる女性だと思う。)

で、下半身麻酔で、冷静に、看護婦さんの合図と共に、自分の膣を鏡で見ながら、いきむことになった。 そのころのアメリカはベイビーラッシュで、病床も足らず、私は出産病棟でない場所で、看護婦と夫だけがそばにいた。日本では、ずっと助産婦さんだけがいて、最後の最後になって、産科医が来た、という話を聞くが、アメリカでは、最後の最後になって、ようやく助産婦さんが現れ、医者なんて、一度も来なかった。 ほとんど自分達でやれ、という扱いだ。 フロリダなので、人種差別を受けていたのかも知れないけど。

で、その最速の話をする。 私はフロリダで知り合って、私の数ヶ月前に出産をした日本人女性の話を聞いていたのだ。 彼女もやはり無痛分娩の処置を受けたのだけれど、赤ん坊がなかなか出てこない、それで、ドクターが来て、君は無痛だから、必死でいきめないのが原因だと思われる、無痛の処置を取り外そう、と言われて、本当にチューブを抜かれたのだそうだ。想像できると思うけど、出産の痛みは、徐々に強くなるからまだ耐えられるのであって、微弱な痛みから、急激に最高レベルの痛みを与えられたら、私なら死ぬのではないか、と思ったのだ。(で、結局、それでもその赤ちゃんは出て来ず、彼女は帝王切開になったのだ。)

この恐ろしい話を私は聞いたので、出来るだけ早く赤ん坊を出さないと、私も同じ目にあう、と思って、恐怖心で、最初から全力でいきんだのだ。 聞いたくない話かも知れないけど、最後は会陰切開になった。 勢いが強すぎて、膣が張り裂けそうだから、助産婦さんが外科的に切ると言って、鋏を取り出し、私はその処置を自分で鏡でじっと見つめていた。日本ではおそらくこんな経験はできなかったのではないかな。