シュワルツネッガーと2回。

有名人と遭遇すること、誰しもあるだろうけど、私が遭遇した中での一番の有名人は、シュワルツネッガー氏です。 ターミーネーター大好きでした。 意味深い社会派映画とか見ない方です。 まだ若い頃、シュワちゃん、りえちゃん、などというCMを知っていた。カリフォルニアに住んでいるからこそ経験できたことなので、書いておく。 今日で、目標だった30記事に到達する。

一度目は、近くの図書館に行く途中で、異常な一般道路の渋滞に巻き込まれ、そのまま野外のイベント会場に続く列に入ってしまった日だ。夫が一体、何があるのだと窓を開けて聞いたら、ここで州知事候補のシュワルツネッガーが演説をするのだ、と返答された。 ミーハーな我々は即決で車を停めて、会場に入ることに決めた。 それで、メタルチェックを受けていた時、係官が、「ステージ上のシュワルツネッガー氏の後ろに席をご用意しました」と言うではないか。 私、米国籍じゃないので、選挙権無いです、とは言わずに、夫が喜びそうなので、その人について行った。 思うに、シュワさんは、その当時、有色人種のベイビーシッターさんの告発を受けて困っていた。 それで小さい娘を連れている有色人種のお母さんがサポーターとして後ろにいる絵が、都合良いのだろう。 サンフランシスコベイエリアとはいえ、この町は、イーストベイの白人だらけのところだった。 それで渡されたTシャツを着て、その夜のニュースで、自分の姿を確認した。 一緒に話したわけではないけど、ターミネーターの真後ろに座っていたよ。 手を伸ばしたら、触れる距離だった。

だから何だと言われたらそれまでだけど、私の時代では、シュワさんというのは、絶大な人気のある、凄い俳優だったのだ。 日本で映画を見ていた時、こんなことが起こるなんで、夢にも思わなかった。

二度目は、会ってもいないので、恐縮だけど、またもやシュワルツネッガー氏と接近遭遇したと自分で思い込んでいることだ。 私、アメリカでは大学等には行かずに、試験と書類審査でカリフォルニア州の教員免許を取得したことがある。 それで、教免が届いて、それを見たら、当たり前のことなのだが、その当時の州知事の名前、アーノルド・シュワルツネッガーのサインがしてあるのだ。 教員免許より、その方が一生の宝となったことは言うまでも無い。

現在、映画とか見ないので、当時のシュワルツネッガーが今は誰に相当するか、わからない。でも、繰り返すが、本当に凄い人だったのだ。 そのサインを見た時は、目が飛び出るぐらいびっくりした。 最高に嬉しかった。 還暦過ぎた女の話を読んでくださってありがとう。

アメリカ人の好きなところ2

これは、アメリカ人が開発した折り紙です。 日本人で、これを折れる人は少ないのではないかな。 もしかして、私だけかな。 ミシガンに住んでいた時に、ご近所さんから教えたもらった。 ジョンなんとかという白人男性が創作したものらしい。 

写真では雰囲気が出ないかも知れないが、華やかで、とても明るい。泣いている子供に、1頭(蝶々の学術的数え方)をサッと作ってあげたら、即座に泣き止んだことがある。 伝統折り紙の持つ湿っぽい感じがない。(しっとり感?)カラッとして、賑やかな感じ。(うるさい?)

日本人、器用で真面目でいいよね。 アメリカ人、陽気で明るくていいよね。

 

 

 

 

40歳にして、最速を出した話。

私は高齢出産をフロリダでした。で、私はフォートロダデール(知る人ぞ知るアメリカのベニスと呼ばれる観光地)に近い大きな総合病院で記録を作ったのだ。 何の記録かというと最速の分娩時間、30分と少し、を出したのだ。

これには訳がある。 アメリカでは、無痛分娩が主流なので、私も陣痛の間隔が短くなってきて、唸っている時に、耳元で、「麻酔しますか」と囁かれ、即時にイェスと言った。 (だいたいあの状況で、断れる人って、よほど痛みに無感覚か、根性のあり過ぎる女性だと思う。)

で、下半身麻酔で、冷静に、看護婦さんの合図と共に、自分の膣を鏡で見ながら、いきむことになった。 そのころのアメリカはベイビーラッシュで、病床も足らず、私は出産病棟でない場所で、看護婦と夫だけがそばにいた。日本では、ずっと助産婦さんだけがいて、最後の最後になって、産科医が来た、という話を聞くが、アメリカでは、最後の最後になって、ようやく助産婦さんが現れ、医者なんて、一度も来なかった。 ほとんど自分達でやれ、という扱いだ。 フロリダなので、人種差別を受けていたのかも知れないけど。

で、その最速の話をする。 私はフロリダで知り合って、私の数ヶ月前に出産をした日本人女性の話を聞いていたのだ。 彼女もやはり無痛分娩の処置を受けたのだけれど、赤ん坊がなかなか出てこない、それで、ドクターが来て、君は無痛だから、必死でいきめないのが原因だと思われる、無痛の処置を取り外そう、と言われて、本当にチューブを抜かれたのだそうだ。想像できると思うけど、出産の痛みは、徐々に強くなるからまだ耐えられるのであって、微弱な痛みから、急激に最高レベルの痛みを与えられたら、私なら死ぬのではないか、と思ったのだ。(で、結局、それでもその赤ちゃんは出て来ず、彼女は帝王切開になったのだ。)

この恐ろしい話を私は聞いたので、出来るだけ早く赤ん坊を出さないと、私も同じ目にあう、と思って、恐怖心で、最初から全力でいきんだのだ。 聞いたくない話かも知れないけど、最後は会陰切開になった。 勢いが強すぎて、膣が張り裂けそうだから、助産婦さんが外科的に切ると言って、鋏を取り出し、私はその処置を自分で鏡でじっと見つめていた。日本ではおそらくこんな経験はできなかったのではないかな。

 

 

50代にして米軍。

アメリカに来てから、それはもうたくさんのところで日本語を教えた。 サンフランシスコにいた時、「私は幼稚園から大学まで、すべての学校機関で教えた。」という先生にお目にかかったことがあるけれど、私はこれに、「企業」と「軍隊」が加わるのだ。 

サンディエゴは、観光地だと思っている人も多いが、実は軍港なのだ。 日本でもよく知られているのは、トップガンのあるミラマーだけど、コロナドアイランドという海軍の拠点があり、ペンドルトンという海兵隊の巨大な基地もある。

私はこのうちのコロナドの海軍基地で、毎日フルタイムで日本語を教えていたことがある。朝7時から3時まで、ずーと日本語を教え続ける、という体力のいる職場だった。 それで4週間で、OPI (Oral Proficiency Interview) のテストに合格させなければならない。 私は、なんと50歳を超えてから、米軍の教官になったわけだ。 おかげで映画でしか見られないような、新兵の訓練や、早朝のセレモニーなどを教室の窓から眺めることができた。

私の生徒は新兵ではなく、ネイビーシールズと呼ばれる特殊部隊の若者だった。 過酷な訓練法で知られる部隊だけど、一度、試しに、「君って、だいたいどのぐらい泳げるのよ?」と聞いたことがある。 こんなレベルの質問しかできない私に問題があるのは承知しているが、知りたかったのだ。 答えは「5マイル」だった。 

マグロか!

 

私の不経済な生き方。

日本にいた時、高校生の時から30代後半で結婚するまで、丸善とかで、ぼったくり価格の洋書を買っていつも読んでいた。 もちろんアマゾン等、以前のことで、それしか方法がなかったのた。 そのほか音楽も、輸入版レコードを買ったりしていた。 日米貿易摩擦を緩和してるのだ、とか人に話していた。 日本の経済が良かった頃だ。

で、アメリカに移住して、今度は全く逆をやってきた。 日本語の本を、こちらの紀伊国屋書店で買うのだけれど、価格設定がとても高い。 円安だなんて全然感じない。 600円ぐらいの本が10ドルはする。 アマゾンJPから注文をしても、送料が本代と同額ぐらいになるので、厳しい。 そして、音楽もJ-PopのCDを買うことが多くなった。 日本では買わなかったのに。

ずーと外国為替取引に貢献する人生を送っているのは何故か。 まず、英語・英文学講師から日本語講師に転向したので、その関係の勉強をひたすらしたことに起因すると思う。さらに、自分の子供に、この環境で、日本語の読み書きを習得させる為、ベイビーブックから初めて、アンパンマンドラえもん、ちびまる子、コナンを経て、携帯小説まで、必死に書い続け、与え続けたということが挙げられる。 娘が自立しても、今度は生徒の興味に合わせて、様々な分野の本を読み続けたのだ。漫画が好きなアメリカ人もいれば、剣術や仏教が好きな人もいるのだ。

しかし、やはり、最大の理由は、日本にいた時は、自分の英語力が衰えることを恐れて生きていたけれど、こちらでは、日本の本を積み上げて、日々の異種格闘技戦から、自分の身を守っているのだと思う。

 

 

他の人の態度に腹が立ったら、

私はもう還暦を過ぎているので、グレートギャッツビーは、映画はディカプリオじゃなくて、レッドフォードで見たし、翻訳は村上春樹じゃなくて、大貫三郎で読んだ。どちらも大昔であまり覚えていないし、新しい方の映画、翻訳は目にしていない。 原書の方は3回ほど読んだ。 アメリカ文学の授業で、ペーパーを書かなければいけなかったからだ。 で、私はこの話の内容より、冒頭の数節が好きなので、書いておきたい。 お父さんが、少年にこういう言葉を残し、それを彼は後年まで、決して忘れないのだ。 

Whenever you feel like criticizing anyone, just remember that all the people in this world haven't had the advantages that you'dve had.

他の人の態度に腹が立ったら、その人達は、君と同じチャンスをもらえなかった人達なのだと、考えたらいいよ。

私の自由翻訳だけど、若い時、私はこのように解釈した。 今でも、その少年と同じように、これをモットーにしている。

 

 

ストロークのすすめ。

ストロークと言っても、脳卒中のススメではない。

自分や他者の存在を条件づけをせずに認めて、肯定的な言葉や思い、ジェスチャーを投げかけることだ。 投げるので、ストロークという。 ペットなどを撫で撫ですることもストロークです。 アメリカの小中学校では、教室内で、一人ひとりに、言葉がけをするストロークの時間をとったりします。

私は期せずして、このストロークをご近所の奥さん連中から受けたことがある。 私はその時、失恋した直後で、しかも年齢が30代後半にかかっていた。 阪神大震災に遭い、出たくもなかった西宮市を去ることになって拗ねていた。その時、たまたま一人で喫茶店に入ったら、知り合いのおばさま達が女子会をしていたのだ。 成り行きで、その状況を愚痴ったら、全員から一人づつ、「いや、貴女には素敵な男性が現れる、幸せな結婚をするよ」等の言葉をかけられたのだ。 座った椅子の配置が、(屋外のテラス席だった)ちょうどそのアメリカの学校でストロークをするときの半円状、私がゴールキーパーの位置だった。 で、私はその後、本当にすぐに結婚をすることになったのだ。 優しい方達だったけど、ストロークなどどいう心理学の手法をご存知だったとは思えない。

何か叶えたいことがあるならば、私は、自分でやる引き寄せ、とかより、友達集めて、ストロークしてもらうことを勧める。 

しかも、その奥さん方の一人なんか、超能力でもあるのか、冗談だったのか、「あなた、アメリカ人と結婚するわ」と言ったのだ。 私は素直でないから、「今から、外人の多い神戸から離れるのに、そんなことあるわけない」と返したのまで覚えている。 この時の映像、ビデオに撮っとけばよかったと思うよ。