ステッカーを剥がすように。

40代で鬱だった頃、よくあることだけど、自己開発セミナーに参加したことがあります。高額なので、人に勧めることはないけど、そこで学んだことはある。 多分に自分の解釈が入っているので、書いておく。

悩み事があるときは、視覚化して、範囲を設定するのが良い。 とてつもなく大きな悩み、と考えるのをやめて、これぐらいの大きさ、と自分で決める。 韓国やタイのレストランに行くと、1から10までのスケールで、どのぐらいの辛さにしましょうか、病院で、1から10までのスケールでどのぐらいの痛みですか、とか、自分で設定できるのと似ている。 悩みの深刻度をこれぐらいの大きさで目の前にあると設定する。 じっとその大きさを捉えて、感じる(ブルース・リーが言ったように、考えない、感じる)。捉えどころがない、とか、名状しがたい(名前をつけられない)とか思ってないで、範囲が見えるのは良いことだ。 これだけある、と自分で決定すると、自分のコントロール下にあることになるのだ。 それでもって、その悩みに、名前をつける事によって、客体化して、自分から離してしまうことが出来る。

ここからは自分の解釈だけど、机にステッカーが貼ってあるとする。 それを剥がす時、縁から剥がす。 ここからここまで、という範囲は見えている。 何かが何かと接しているそのきわから物事は変化する。 剥がしたいなら、端っこからやるしかない。 アメリカにせよ、オーストラリアにせよ、大都市は端っこにある。 海と接しているところから変化したのだ。私自身、空港ターミナルで人生が変わったことがある。 それで、ずっと海外住まいになってしまった。 自分というステッカーが剥がれたのだと思っている。