例にもれずやっぱり大谷翔平。

自分の思考の記録を娘に残すのに、このトピックを避けて通れないので、やっぱり書く。

私は子供の時から、少年漫画が好きで、「巨人の星」から野球そのものが好きになった。一人暮らしした時、甲子園の照明灯がベランダから小さく見えるアパートに住んでいた。 

関西人の例に漏れず、神様バース様を信仰していた。今はやっぱり、日本人の例にもれず、大谷エンジェルに魅入られている。私、サンディエゴのノースカウンティーに住んでいるので、ダルを見に行くのも大谷見に行くのもほとんど同じ距離なのだ。それで、やっぱりアナハイムの方に行く。

サンフランシスコからこちらに引っ越す時、辛かったけど、こんな幸運が待っているとは、思いもよらなかった。 わずか1時間余りで、この奇跡の人を生で見られるのだ。 フリーウェイがいかに混んでいようが、現地でホットドッグしか食べられなかろうが、チームがなおエをしようが、用意されたこの幸運を味わうために出かけていく。幸運とはこのことなのだ。

年配の日系人夫婦が、漢字で大谷翔平と書いた白鉢巻をつけて、上段の席に陣取っているのを見かけることがあり、とても感慨深い。自分も決して若くはないけれど、早くから渡米されて、ご苦労があったのだろうな、とか勝手に決めつけている。 会話も交わさず、じっとグラウンドに視線を落とし、身動きもされないので、そんなことを考えてしまう。

私は、新庄もイチローも松井もこっちで見ているけど、大谷には、日本の光を感じます。どんなことがあっても、まだ生きていけます。 私は25年アメリカに住んでいるけど、日本人です、まだ日本人として生きていけます、光や希望を失いません、と彼を見ていると、そう肯定できるのです。